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前橋地方裁判所 昭和47年(ヨ)74号 判決 1976年10月19日

申請人 青柳晃玄

被申請人 学校法人学文館

主文

一  申請人の申請をいずれも却下する。

二  訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有する地位を仮りに定める。

2  被申請人は申請人に対し昭和四七年二月一日以降申請人から被申請人に対する解雇無効確認請求事件の判決確定に至るまで毎月二一日限り一か月金六万五、六七一円の割合による金員の支払いをせよ。

3  被申請人は被申請人が経営する上武大学附属第一高等学校において申請人の就労を妨げてはならない。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利について

(一) 当事者の身分等

被申請人は教育基本法及び学校教育法に従い学校教育を行うことを目的とし、その目的達成のため、上武大学商学部、上武大学附属第一高等学校全日制課程、上武大学附属第一幼稚園、学文館高崎高等予備校を設置する学校法人である。

申請人は昭和三六年三月三一日群馬大学学芸学部人文社会科を卒業し、昭和三九年四月一日被申請人の経営する上武大学附属第一高等学校(以下、一高という。)に人文地理担当教諭として就職した。

(二) 本件懲戒免職処分に至る経緯

(1) 申請人は昭和四六年一一月一九日沖繩返還協定批准に反対し、その国会における強行採決に抗議すべく催された日比谷集会に参加した。しかしながら、警察当局は当日集会に参加した者に対し、八〇〇名を越える違法逮捕をなし、その一人として申請人も逮捕され、つづいて勾留された。

(2) 申請人は同日より二三日間の身柄拘束された後釈放されたのであるが、同月二五日代理人である弁護士木村壮をとおして一高校長堀越早苗(以下、校長という。)宛休暇届を提出した。

申請人は同年一二月一一日(土)午後帰宅し、校長に電話で帰宅の報告をしたところ、校長より「疲れているだろうから、しばらく自宅で療養するように。」と言われたが、申請人は心身ともに丈夫であるから同月一三日(月)より登校する旨答えた。

(3) 右期日に申請人が登校すると被申請人代表者理事長三俣貞雄(以下、理事長という。)の自宅に来るように言われ、理事長宅へ出向くと、理事長は「理事会としてはすべて校長に委せてあるので校長の指示に従うように。」と申請人に申入れた。

そこで翌一四日校長宅へ行き話し合つたところ、「疲れたろうから自宅で静養待機するように。」とのことであつた。

しかし申請人は以後も登校し、授業を続けた。

(4)(イ) ところが、昭和四七年一月一二日被申請人より申請人宛自宅謹慎命令が送達された。申請人は右自宅謹慎命令は処分の理由が明示されていないので従うことはできない旨意見書を付して返送し、以後も従来どおり登校して授業を行つた。

(ロ) 同月二五日一高の緊急職員会議が召集され、校長より申請人を同日から四月三〇日まで停職処分にする旨通告され、その停職処分の通知は同年一月二七日申請人宅に送り届けられた。

申請人は右処分も理由を欠く不当なものであるとして同年二月一日意見書をそえ返上した。

(ハ) 右二つの処分の後も申請人は登校を続けていたが、被申請人は同月三日に至り申請人に対し、懲戒免職処分の通知をした。右の懲戒免職処分には「別紙のとおり処分理由書を別送する」と記され、同月一〇日処分理由書が申請人に送り届けられた。

(三) 本件懲戒免職処分の不当性について

前記(二)(3)の自宅待機命令は、申請人が心身ともに正常さを失つているとの事実に基づかない単なる推定のもとに申請人の意見を聞くことなく発せられたものであるが、教諭の地位にあるものにとつて、自宅で待機して授業を行なえない立場におかれることは、減俸等の処分に比較して多大の影響をもたらすものであり、慎重に審査した後になすべきであるので、断じて「前もつての推定によつて」行われるべきではないから、右命令は申請人にとつて、到底承服しえない不当なものであり、さらに(二)(4)の(イ)・(ロ)記載の書面による処分通知は何等処分の理由が記されていないから無効のものであり、申請人としては従うわけにはいかなかつたにもかかわらず同(ハ)記載の懲戒免職処分は、右(イ)・(ロ)記載の処分通知に従わないで登校、授業を続けたことを理由としているのであるから、右(イ)・(ロ)記載の処分が処分理由を欠く無効なものである以上、右懲戒免職処分も無効であるというべきである。

(四) 申請人が参加した集会の正当性について

被申請人は、申請人が昭和四六年一一月一九日沖繩返還協定批准に反対し、その国会における強行採決に抗議すべく催された日比谷集会に参加したことをもつて、前記各処分をなすについての前提となる事実としているが、右協定は、日本を再び侵略戦争へと導くための具体的第一歩であり、また国会におけるその強行採決は民主主義を踏みにじるものであつて、これに抗議するために日比谷集会に参加することは正当であり、右集会に参加した申請人を逮捕勾留することは違法であつて右参加をもつて、前記各処分をなすにあたつての前提とすることはできない。

2  保全の必要性について

申請人は本件解雇当時、六万五、六七一円の給与を被申請人より受けていたものである。申請人にとつては、被申請人から支給される給与が唯一の生活資金であり、申請人は妻と二人の子供を扶養する義務があり、これが支給されない以上、申請人の生活が危殆に瀕することは明らかである。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由中1の(一)の事実を認める。

2  同(二)の(1)の事実のうち、申請人に対する逮捕勾留が違法であつたことは争い、その余の事実は認める。

同(二)の(2)ないし(4)の事実はすべて認める。

なお、申請人は、右集会当日同人が住職をしている「高唱寺」の法事主催の為と称して一高を早退し、右集会に赴き、同日現住建造物等放火罪、公務執行妨害罪並びに兇器準備集合罪の各容疑者として現行犯逮捕されたものである。

3  同(三)の事実のうち申請人に対する自宅待機命令が、「前もつての推定」のみによつて申請人の意見を聞くことなく行われたものであること、申請人に対する処分が、何らの理由を明示することなくなされたことを否認し、その余は争う。

4  同(四)の事実を争う。

なお、申請人が参加した「日比谷集会」とは次のようなものであつた。

(一) 主催者は、かねてから「武力行使によつて日本に革命を起こす」旨を主唱し、近年東京都内他各地に於て、爆発物等を使用した暴力事件を惹起させている組織に属する者等であり、昭和四六年一一月一四日には、「沖繩返還協定批准実力阻止闘争」名下に、「渋谷に大暴動」を起こすべき旨を唱導し、都内外各地からその組織に属する者等を結集させ、東京都渋谷区内等に於て、石塊、木材、爆発物等を使用して、警察官、一般民衆等の身体、財産等に対する加害行為を行つたものであるが、

(二) 右主催者等は、前項記載の「渋谷大暴動」を、革命闘争の成功と高く評価し、日比谷公園野外音楽堂への結集及び日比谷公園周辺に於ける「大暴動」の惹起を唱導した。

(三) しかして、昭和四六年一一月一九日夕刻日比谷公園野外音楽堂に結集した多数の者は、警察官の阻止を排撃してデモに移り、更に日比谷公園内所在のレストラン「松本楼」及び花店「日比谷花壇」の建物に放火して全焼させる等の加害行為を行い、多数の者が検挙された。

5  同2の事実中、解雇当時の給与額、申請人の家族関係に付ては認めるが、その余は否認ないし争う。

なお、申請人は僧籍にあり、宗教法人高唱寺の代表役員としての収入を得ているものであつて、被申請人からの給与が唯一の生活資金ではない。

三  抗弁

申請人の被申請人に対する懲戒免職処分は以下の経緯によつてなされた正当なものである。

1  申請人に自宅待機を命じるに至つた経緯

申請人は昭和四六年一一月一九日法事の為と偽つて一高を早退し、「日比谷集会」に参加のうえ、現住建造物等放火罪等の容疑で現行犯逮捕された。

被申請人は同月二六日、「申請人が釈放された場合には、検察庁の処分が決定する迄の間、申請人に対し自宅待機して反省すべきことを命じる」べき旨決定した。それは次の理由による。

(一) 法事と偽つて早退したこと、

(二) 新聞報道等により、「日比谷過激派集会」は暴力破壊活動にまで発展するであろうことが予想されていたのに拘らず、教職員の身でありながら敢て、これに参加のうえ逮捕されたこと、

等から、申請人は精神的に正常性を欠いていることが推定されること、

(三) 被疑事実の重大性から勾留期間の長期化が予想され、ひいて身体的にも正常性を欠いていることが推定できること、

(四) 学文館労働組合は正規に届出て、その代表者を通常の集会に参加させているところ、申請人のみ独り分派活動を行つたことは、組合員たる職員との間に対立感情を発生させ、日常業務に支障をきたす惧れが予想されるので、緩和期間が必要であること。

(五) 教職員が、重大犯罪の容疑者として逮捕勾留されたことは、生徒および父兄にも不安感を与え、学校の経営面に大きな影響を与える惧れがあるので、冷却期間が必要であること。

(六) さらに被申請人は、一二月四日に至り警察署から申請人が現行犯逮捕され、完全に黙秘権を行使していることを知らされ、かつ同月一〇日には一高校舎内まで強制捜査を受けるに至つたこと。

理事長および校長は、同月一三日に登校した申請人から事情を聴取し、前記理由により自宅待機すべき旨を申請人に命じたところ、申請人は、自己の行為の正当性、逮捕勾留ひいて国家権力の不当性等を強調し、「自宅待機に応じることは、逮捕勾留の正当性ひいて国家権力の正当性を承認することになるから応じない。被申請人の命令に反抗して登校することが国家権力に対する闘争であり、自己の正当性を明らかにする所以であるから、いかなる処分も実力で白紙撤回させる。被申請人も組織を挙げて日本軍国主義に反対し、国家権力と闘争すべきである。それが、平和と民主主義を守る唯一の方途である。」

旨主張し、自宅待機を拒否し、さらに申請人は、一高各職員に対しても右と同旨の主張を繰返し、学文館労働組合から分派行動をとつたこと及び長期欠勤の為同僚教職員に負担をかけたこと等に対する反省、謝罪を行わない為、他の教職員との対立感情も激化した。

2  申請人に対し自宅謹慎及び停職の各処分をするに至つた経緯

申請人は、前項記載の状況下に、被申請人の職務命令を無視して登校を続け、更に昭和四七年一月に至るや、被申請人が申請人の代替授業を命じた他の教職員の授業を妨げ、学校業務の運営と職場秩序を紊すようになつた。

この為、被申請人は止むを得ず申請人に弁解の機会を与え、理由を示して自宅謹慎、さらに停職処分を行うに至つた。

3  申請人を懲戒免職処分に付した経緯

(一) 申請人に対する自宅待機命令から停職処分に至る間、学文館労働組合委員、一高職員等が交々申請人に対し職務命令に服すべき旨の説得を重ねたが、肯んぜず、昭和四七年一月二六日からは、連日のように申請人の妻を含む多数人と共に、通行人、一高教職員のみならず一高生徒に対しても、「『一場、青柳を守る会』に参加して、被申請人を通じて為される国家権力の不当弾圧と闘おう、」という趣旨の記載のあるビラ多数を配布し、生徒を政治的闘争活動に誘うようになつた。この為一高生徒、父兄の間にも著しい不安感を与えるに至つた。

(二) かくして、被申請人は、申請人には教職員として犯罪の嫌疑を受け被申請人の業務上の信用を失墜し、さらに、学校業務の運営と職場秩序の破壊に対する反省悔悛の可能性が皆無であり、かつ教職員としての適格性を全く欠く者と判断し、申請人を同年二月三日懲戒解雇処分に付した。

以上の通り被申請人の申請人に対して為した解雇処分は正当である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、申請人が昭和四六年一一月一九日、法事の為と称し、日比谷集会に参加し、逮捕されたこと、被申請人から自宅待機命令を受けたこと、および右命令を拒否したことは認めるが、被申請人が右命令をなすに至つた理由のうち(二)ないし(六)についてはそのような事実があつたことは否認し、またその余の事実も否認ないし争う。

日比谷集会は前述のとおり正当なものであり、従つてこれに参加したことをもつて精神的に正常さを欠いていたと推定することはできない。

2  抗弁2の事実のうち、被申請人が、申請人に対し、自宅謹慎さらに停職の各処分を行つたことは認めるが、その余は否認ないし争う。

3  抗弁3の事実のうち、申請人が被申請人に対して懲戒免職処分をなしたことは認めるがその余は否認ないし争う。

第三証拠<省略>

理由

一  当事者の身分等(申請の理由1(一)の事実)については、当事者間に争いがない。

二  さらに、左記1ないし4の事実についても当事者間に争いがない。

1  申請人が昭和四六年一一月一九日沖繩返還協定批准に反対し、その国会における強行採決に抗議すべく催された日比谷集会に参加したところ、警察当局は当日集会に参加した者に対し、八〇〇名を越える人員を逮捕し、その一人として申請人も逮捕され、続いて勾留された。

2  申請人は、同日より二三日間身柄拘束された後釈放されたが釈放前の同月二五日代理人である弁護士木村壮をとおして校長宛休暇届を提出した。

申請人は同年一二月一一日(土)午後帰宅し、校長に電話にて帰宅の報告をしたところ、校長より疲れているだろうから、しばらく自宅で療養するようにと言われたが、申請人は心身ともに丈夫であるから、同月一三日(月)より登校する旨答えた。

3  右期日に申請人が登校すると理事長の自宅に来るように言われ、理事長宅へ出向くと、理事長は「理事会としてはすべて、校長に委せてあるので校長の指示に従うように。」と申請人に告げた。そこで翌一四日校長宅へ行き、話し合つたところ、「疲れたろうから自宅で静養待機するように。」とのことであつた。しかし申請人は登校を続け、授業を行つた。

4  しかるところ昭和四七年一月一二日被申請人より申請人宛自宅謹慎命令が送り届けられた。申請人は右自宅謹慎命令は処分の理由が明示されていないので従うことはできない旨意見書を付して返送し、以後も従来どおり登校して授業を行つた。同月二五日一高の緊急職員会議が召集され、校長より申請人を同日から四月三〇日まで停職処分にする旨通告され、その停職処分の通知は同年一月二七日申請人宅に送り届けられた。申請人は右処分も理由を欠く不当なものであるとして同年二月一日意見書をそえて返上した。

右二つの処分の後も申請人は登校を続けていたが、被申請人は同月三日にいたり、申請人に対し、懲戒免職処分の通知をした。右懲戒免職処分には「別紙のとおり処分理由書を別送する。」と記され、同月一〇日処分理由書が申請人に送り届けられた。

三  申請人が参加した日比谷集会について

成立について当事者間に争いのない疎乙第一三号証の一ないし四、第一四号証の一ないし三、第一六号証、第一七号証の一ないし四、および証人堀越早苗の証言によれば、右集会の主催者は、武力闘争を肯定し、東京都内各地において、火炎ビン等の爆発物その他の兇器を使用して、一般市民までまきぞえにした暴行、傷害事件を多発させているいわゆる新左翼とよばれるもののうちの一組織に属するものであり昭和四六年一一月一四日には、沖繩返還協定批准を大暴動によつて阻止する旨を唱導して、全国から、その組織に属する者等を集合させ、東京都渋谷区等において、火炎ビン、石塊、木材等を使用して、警察官、一般市民等の身体、財産に対し加害行為を行つたが、右主催者は、さらに、同月一九日日比谷公園野外音楽堂に集合することおよび暴動の惹起を呼びかけ、しかして、右集会に参加した多数のものは、同日夕刻日比谷公園内外において、丸太、石塊等をもつて加害行為を行いさらに、同公園内のレストラン松本楼等に放火してこれを焼燬させた事実が一応認められ、右認定を覆すに足りる疎明はない。

四  本件懲戒免職処分に至る経緯について

以上争いのない事実および日比谷集会についての前認定事実を前提として、自宅待機命令、自宅謹慎命令および停職処分を経て懲戒免職処分に至る経緯について、順次判断する。

1  自宅待機命令の効力について

業務命令は、使用者が、事業の運営遂行のために就労過程にある被用者に対し、具体的指示を与えることをいうが、右命令は事業の運営、遂行のために当該指示を必要とすると判断される根拠となる事実があり、かつ右必要性にみあつた内容の指示であるかぎり、適法であるということができる。

そこで本件の場合に、申請人に対し自宅待機命令を発することを必要とする根拠となる事実があつたか否かについて以下検討する。

成立について当事者間に争いのない疎乙第二号証の一、二、第一一号証、第一四号証の一ないし三および証人堀越早苗の証言、被申請人代表者本人尋問の結果を総合すれば次の事実が一応認められる。

被申請人は、私立学校であり、学校所在地付近地域社会の住民の支持を失えば、入学希望者が減り、あるいは転校者が増える等して、学校経営が阻害されるおそれがあるところ申請人は、前認定のとおりの過激な行動をくりかえし、新聞報道等によつて一般に過激派集団と目されるに至つた組織が主催した日比谷集会に法事のためと偽つて(法事のためと偽つたことについては当事者間に争いがない)勤務先の一高を早退して参加し、その結果逮捕され、引続いて勾留された申請人に対し、一般父兄が申請人の行動を批判し、申請人について正常な考え方のできない人間としての評価を下すことが当時予想され、さらに、多数の被逮捕者があり、かつ逮捕、勾留の理由が現住建造物等放火等の重大な犯罪であつたから勾留期間が長びくことも予見され、その上右集会における過激な行動が新聞等により報道されたことにより、もし申請人が出校するならば父兄に対する前述の影響がますます大きくなるであろうことが十分予測され、そうなると、被申請人が地域社会住民の支持を失うことになり、ひいて、学校経営が阻害されることにもなりかねず、さらに、学校経営者としては、学校職員間の関係を円滑にするよう配慮すべき職責があるところ申請人は、職場の労働組合(学文館労働組合)や同僚とも話し合いをもたず、かつ、右労働組合が正規に沖繩返還協定批准阻止のための全国統一中央集会に代表を送りこんだにもかかわらず、法事といつわつて過激派と目される組織の主催する集会に参加し逮捕勾留されたことにより、申請人と所属労働組合および同僚との間に対立が生じはじめ、それが大きくなつていくことも当時憂慮しなければならない状態であつた。ここに至つて、被申請人は昭和四六年一一月二六日緊急役員会(理事会構成員のほか、監事二名を含め計九名位が出席)を開き、父兄および職員に対する影響をできるだけ少くするために換言すればいわゆるほとぼりをさますために、申請人に対し自宅待機命令を発する旨の決定をなした。また右決定をなすに至つた理由として、検察庁の申請人に対する処分が決定するまでの間、申請人に対し、自宅において反省する機会を与え、加うるに逮捕勾留中の心神の疲労を静養させることをも目的としていた。

そして、右決定当時の前記予想どおり、被申請人と労働組合、同僚および父兄との間がしだいに悪化していつたことは後に認定するとおりである。なお、証人青柳かつ子および申請人本人は右一応の認定に反する供述をしているけれども、右供述は前記各疎明資料に照らしにわかに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

以上のとおり、被申請人が申請人に対して自宅待機命令を発することを必要とする根拠となる事実が、当時存在したことを一応認めることができる。よつて自宅待機命令は適法であるというべきである。なお、申請人は、申請人に対する逮捕勾留が違法であつた旨主張し、自宅待機命令の効力を争つている。しかし、申請人の全主張およびその全供述に照らせば、右主張は、逮捕勾留が現行刑事訴訟法上の特定の条規に違反し、その点で違法であるという趣旨の主張をするものではなく、要するに、右逮捕勾留が集会に対する権力からの弾圧であるという意味で政治的に不当であつたとの主張であると解されるが、そうすると前認定のとおり、被申請人の自宅待機命令は、申請人が過激派と目される一組織の主催する集会に参加したことによる学校経営への影響を慮つて、学校経営の円滑化という視点からする被申請人の正規の役員会の議を経た自主的判断に基づくものであり、国家権力からの弾圧というがごとき主張とは視点を異にすることであるから、申請人の右主張は自宅待機命令の適法性についての右判断を左右するものではない。

さらに、申請人は、被申請人が自宅待機命令を発するについて、申請人の意見を聞くことがなかつた旨主張するけれども成立について当事者間に争いのない疎乙第一一号証、証人堀越早苗の証言および被申請人代表者本人尋問の結果を総合すれば、被申請人が緊急役員会により、自宅待機を命ずる旨の決定をした当時は、申請人は勾留中であつたので、その意見を聞くことができなかつたものであり、従つて、申請人が帰宅した後の昭和四六年一二月一三日校長は一高内において、理事長は、理事長宅において、それぞれ申請人に対し、役員会の決定の模様を説明し、ほとぼりがさめるまで自宅で待機するよう説得したが、これに対し申請人本人は、「逮捕勾留は、国家権力による弾圧によるもので不法であり、自分の行つたことは絶対に正しい。いかなる処分も受け入れられない。学校へ来て授業をするのが何が悪い。出校することが闘争である。」旨の発言をして自宅待機を拒否した事実が一応認められ、申請人は右に反する供述をしているけれども右供述は前認定事実に照らし、にわかに採用することができず、他に前認定を覆すに足りる疎明はない。

従つて、被申請人が自宅待機命令に関し申請人の意見を聞くことがなかつたということはできない。よつて申請人の右主張は失当である。

2  自宅謹慎および停職の各処分を経て懲戒免職処分を発するに至つた経緯について

成立について当事者間に争いのない疎甲第一ないし第四号証、疎乙第二号証の一ないし四、疎乙第五号証の一、二、疎乙第一一号証、証人堀越早苗、同斉藤元治の証言および申請人、被申請人代表者各本人尋問の結果を総合すれば次の事実が一応認められる。前項末尾認定のとおりの状況により、自宅待機命令を拒否した申請人は、同月一五日を除いて出校しつづけ、その間、授業はほとんど行わなかつたが、ホームルームには出席した。その間、学文館労働組合執行委員会および分会会議において日比谷集会で何をしたかについて説明を求められたが申請人はこれを拒否した。ところで校長は、同月一四日朝校長室において申請人に対し自宅待機命令の内容を告げ、翌一五日朝および同日夜においても同様その内容を告げ、さらに申請人の同僚である職員および労働組合執行委員長も、申請人と話合をもち、申請人に対しかわるがわる一〇数回におよんで校長の命令に服するように勧めたが、申請人はこれに従わず、加うるに、飯塚、前川両理事も、同月一七日、申請人の意見を聞いてほしいとの校長の進言により、申請人と相当突込んだ話合をもつたが、申請人は、自宅待機命令に全く従うことができない旨答え、前述のとおり出校を続けた。

翌四七年一月一〇日、申請人は職員の説得にもかかわらず、三学期の最初の授業に出、被申請人が定めた代行教師との間に混乱を生ぜしめた。ここに至つて、職員の間で、申請人が自宅待機命令に従わず、出校を続けると安心して授業ができないとの声がつよくなり、同月一一日の被申請人の理事会において、申請人に対し同日から同月三一日まで自宅謹慎処分を科する旨決定した。右会議における決定の後、校長は、申請人に対し、右決定および決定に至つた理由を口頭により伝え、あわせて、申請人が自宅待機命令を受けてからの言動は正常というよりは独善的である旨述べ、申請人が本当の教育をしようと考えるのならば職場の同僚と手をつなぐべき必要があることを説くなどして一時間程申請人と話し合つたところ、申請人は、「苦しいけれども自宅謹慎を受ける。」旨答えて帰つた。その時点で学文館労働組合執行部の役員たちは、比較的軽い処分であつたことを喜び申請人に対し右処分に従うよう説得し、申請人が右説得に応ずるなら、自宅謹慎処分を撤回し、自宅待機命令まで戻してもらいたい旨理事長に申し入れ、理事長も右申し入れに理解を示した。ところが、申請人は翌一二日前日の態度を一変し、校長に対し、自宅謹慎処分に従わず、あくまでも対決して一人で闘う旨述べ、処分に服することを拒否したので被申請人は口頭による処分の告知に従わない場合には、文書で告知する旨の理事会の決定により、やむなく右処分を同日付内容証明郵便物の文書を申請人に送り届けて告知した。しかるに申請人は同月一七日被申請人に対し、抗議文を提出し、かつ右処分の記載ある文書を返上し、以後登校を続け、授業を強行した。

前述のとおり、申請人は、自宅謹慎処分に服さず出校、授業を行い学校の正常な運営を乱し、教務室の空気が次第に暗くなり、さらに、被申請人が定めた代行教師と申請人という二人の教師が、同じ教室で顔をあわせるなど、教育上好ましくない状態が生じ加うるに、「一場・青柳先生を守る会」という一組織に属するものの作成したビラが相当数前橋市方面に配布されるようになつた結果社会一般にも申請人の処分無視の行動が知れ渡ることとなつたので、被申請人理事会は、討議の末、同月二五日申請人に対し同日から四月三〇日まで停職処分を科する旨決定した。右決定は、申請人も在室している緊急職員会議で発表され、理事長から決定に至る経過の説明がなされたが、申請人は右処分は不当不法なものであるとして理由を聞かずに退場した。右会議中、職員から「申請人が反省すれば、右処分はどうなるか。」との質問があり、これに対し理事長は「申請人が反省すればとやかくいうことではない。」旨答えた。

停職処分決定の日の翌二六日、申請人はその妻および白ヘルメツトを着装した者など数名で正門において、生徒および職員に対し、停職処分は不法不当だから処分の白紙撤回まで斗いぬく旨記載したビラを配布し、同月二九日には一場・青柳先生を守る会の前橋市の県民会館で行われる決起集会に参加するように上武一高の教職員のみならず、生徒にまで呼びかける旨のビラを配布し、以後継続的にビラを配布し、また停職処分決定以後も登校し、被申請人のした停職処分に真向から反対して授業を続けた。

ここにおいて被申請人およびPTA役員に対し、父兄から正しい教育が損われるとして苦情がくるようになり、職員の中からもなんとかビラ配布をやめさせられないものかとの声も出るようになり、生徒への教育的な悪影響の発生、および地域社会住民からの信頼の喪失が心配されるようになり、「自分の行為が絶対的に正しい。校長は権力の末端だから徹底的に闘うんだ。」として学文館労働組合や同僚教員の説得にも従わず、それらとの話合においてもかたくなに自説を固執して斗争を続ける申請人に対し、被申請人理事会は、ついに二月二日午後一時から夜中の一二時頃まで討議したうえ申請人に対し懲戒免職処分をする旨の決定をした。翌二月三日職員会議が開かれ、被申請人の理事長は、「青柳晃玄教諭日比谷過激派集会参加事件に対する経過と処分理由書」と題する書面(疎乙第一一号証)の写しを出席した全職員に配布し、理事長から申請人を懲戒解雇処分に付した旨職員に説明したが、大多数の職員からは、申請人は教師としてふさわしくないので免職もやむをえないとの声が聞かれた。なお、途中からこの会議場に入つてきた申請人は右理事長の説明を聞いた。しかし、学文館労働組合から被申請人への処分撤回の交渉の申入もなかつた。ところで労働組合としては当時免職処分に反対する態度もみられたが、それは申請人に対し右処分を科すると、申請人を支持する新左翼の一派の思うつぼにおち入り、紛争がますます拡大することを恐れたからであつた。

一方、上武一高PTAの役員は、二月二日理事長宅へ赴き申請人に関する紛争の経過説明を受けた後、緊急合同役員会を招集したが、右会議には通常の場合の倍以上の約七〇名程の父兄が出席し、「このような事件が公になると一高へ来る生徒がいなくなる。申請人のような思想を生徒にうえつけてもらつてはこまるので、申請人に考えなおしてほしい。」あるいは「学校の処分は生ぬるい。なぜ学校は首を切らないか。」との意見がはじめ大勢を占めたが、結局、申請人を呼んでその意見を聞き申請人が卒直に反省すれば、PTAとしては理事会へ復職の斡旋をしようということになり、申請人を呼び「生徒を紛争にまきこまぬこと、今後危険な組織から手を引くこと。」等の申入れを行つたが、申請人は「自分のとつた行動は絶対に正しい。私は悪いことをしていないので捕まえた警察というものが悪いんだ。労働者には早退の権利がある。早退後何をしても文句をいわれる筋合はない。被申請人の処分はでたらめで絶対に従えない。」旨述べ、話合は平行線におわり、その結果、PTAとしては、被申請人のいかなる処置にも賛成する旨の決議をした。以上要するに、申請人は自宅待機命令を拒否して登校を続け、理事長、校長、同僚、父兄との話合や説得を拒み同僚、父兄との対立を決定的なものとし、学校経営の正常化を妨げ、被申請人の命じたすべての処分を無視し、これと真向から反する行動を続けた結果ついに、一高の教師として、ふさわしくないと判断され懲戒免職処分を科せられたものであり、申請人本人は右認定に反する供述をしているが右供述は前掲疎明資料に照らし、にわかに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

五  本件懲戒免職処分の効力について

ところで、証人堀越早苗の証言および被申請人代表者本人尋問の結果によれば、本件懲戒免職処分は、明示の懲戒規定に基づかないでなされた事実が疎明される。ここにおいて、明示の懲戒規定に基づいていないことが本件懲戒免職処分の効力を左右するかどうかが問題となる。

よつて検討するに、前項までの認定事実によれば、申請人は過激派と目される組織の主催する集会に参加したことにより、被申請人から自宅待機命令を受け、これを拒否して登校を続け、理事長、校長、同僚、父兄等との話合やこれらによる説得に応ぜず、日増しに同僚、父兄との対立を激化し、その間、被申請人の科した一切の処分を無視した行動を一貫して続け、その結果、被申請人の学校経営の正常化を著しく妨げ、申請人の右行動がさらに継続されれば、経営と教育の両面において、私立学校存立の基礎そのものを危機におとしいれることになることがきわめて明白であつたと認めることができるが、被用者にこのように極端な規律違反の行状がある場合には、企業の存立とその健全な活動について、そこに就労する被用者および地域社会(本件の場合とりわけ生徒およびその父兄)に対して最終的に責任を負う私立学校経営者としては、右規律違反の被用者に対し明示の懲戒規定がない場合でも企業秩序維持のため緊急やむをえざる制裁措置として懲戒免職処分をもつて臨むことができるというべきであつて、このように企業の存立にかかわる深刻な状況を目前にしながら、たまたま明示の懲戒規定がないというだけの理由で、秩序維持の措置をとることもできず拱手傍観しなければならないものとすることは、被申請人のごとき形態の企業にとつては、まことに酷なことといわざるをえない。

もちろん、右のような場合であつても懲戒免職処分というものの重大性に鑑み、被処分者の弁明を聞き、また、処分についてはその理由を示す等の正当な手続は履践しなければならないというべきであろう。この点について、申請人は、自宅謹慎、停職および懲戒免職の各処分について、右各処分は申請人の弁明を聞くことなく、また理由を示さずになされたものであり、手続上無効なものであると主張するので、審究するに前項認定事実のとおり、前記各処分の前後を通じて、申請人と理事長、校長、同僚、父兄との間で回を重ねて話合が行われ申請人に弁明の機会を与え、申請人に対し説得が行われ、その間に各処分の理由は明らかに告げられているのであるから申請人の右主張は事実上の基礎を欠き失当というべきである。

さらに、付言するならば、明示の懲戒規定のない場合における懲戒免職処分は、とりわけ、懲戒の対象となる規律違反の種類・程度に応じ相当なものでなければならず、現実に科せられた懲戒免職処分が右にいう相当性を欠くときには、右懲戒免職処分は懲戒権の濫用であるとしてその効力を否定されなければならないことがあるとするのが、労使関係を規律する法の当然の帰結であると解せられる。

右の見地から、本件について考察するに、本件にあらわれた全疎明によるも、本件懲戒免職処分(その先行処分たる自宅謹慎、停職の各処分をも含めて)について懲戒権の濫用があると目すべき事由は、いささかも疎明されていないのである。

以上説示のとおり、被申請人の申請人に対する懲戒免職処分は申請人主張の違法はなく有効である。

六  結論

以上の次第で申請人の本件申請は、結局、被保全権利の存在について、その疎明がなく、保証を立てさせてその疎明に代えることも相当でなく、従つて保全の必要性についての判断をするまでもなく失当としてこれを却下することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳沢千昭 園部逸夫 村上久一)

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